vol.105 古代日本のロマンを探求神話の神社を歩く~国生み編

古代日本のロマンを探求神話の神社を歩く~国生み編

「古事記」や「日本書紀」ゆかりのスポットを紹介する「神話の神社を歩く」。第一弾は神話界で最初のカップル、イザナギノミコト・イザナミノミコトの物語にスポットを当てます。

1.そもそも『古事記』『日本書紀』ってどんな本?

島根や宮崎には「記紀」ゆかりのスポットが点在しています。写真は「国譲り」の舞台とされる島根県出雲市の稲佐の浜

『古事記』は、天皇家に伝わる古い物語を記録した書物です。40代天武天皇の命により編纂がスタートし、約30年後の712に完成しました。

一方の『日本書紀』は720年に完成。天皇と朝廷の公式の記録という位置づけで、当時の国際語である漢文を使って書かれたものです。

日本でしか読めない変体漢文で書かれた『古事記』は国内向きに天皇の正当性を伝えるべく書かれたもの、『日本書紀』は海外、主に中国に向けて日本をアピールするために書かれたものだと推測されています。『古事記』『日本書紀』は合わせて「記紀」と呼ばれ、古代史を知るための代表的な書物になっています。

「記紀」には、ヤマタノオロチを退治したスサノヲノミコトの話や、因幡の白うさぎの伝説など、絵本でもおなじみの物語がたくさん収録されています。現代人が読むと「そんな展開あり!?」」と驚くような話が多いのもおもしろいところ。

そんな「記紀」の最初に、多くのページを割いて語られているのがイザナギ・イザナミの物語です。

▲目次に戻る

2.幸せの絶頂に死別。イザナギ・イザナミのロマンチックで残酷な物語

日本三景で有名な天橋立は、天浮橋だったとも伝えられています。

世界のはじめ、天地に十柱の神さまが次々と現れました。最後に現れた男神のイザナギノミコトと女神のイザナミノミコトは、天の三柱の神さまに「脂のように漂っている地上を人が住めるようにしなさい」という命を受けます。

そこで二柱は天と地の間にある天浮橋(あめのうきはし)に立ち、矛で地上を混ぜ固めたところ、矛から塩がしたたり、島ができました。島に降り立った二柱は、結婚して次々と島々を産み、神々を産んでいきます。結婚して子どもが生まれ、まさに幸せの絶頂ですね。

ところが、火の神カグツチノミコトを産んだイザナミは、火傷を負って亡くなって黄泉の国へ行ってしまいます。
『古事記』に記されたこの時のイザナギの悲しみぶりといったらすごいものがあります。

イザナミの枕元で泣いたと思ったら足下で泣き、大声をあげて涙は流しっぱなし。「愛しい我が妻よ。たかが一人の子供のために、お前をうしなってしまったとは」と身をよじって嘆き、あげくわが子カグツチをばっさり切って殺してしまいます。

あまりに不条理な展開ですが、カグツチからほとばしる血や頭、腹などからたくさんの神さまが生まれるので、神さまの道理と人間の常識は秤にかけられないということなのでしょう。

時を経ても悲しみが癒えないイザナギはついに黄泉の国へ行きますが、「私の姿を見てはならない」というイザナミの禁を破り、ただれてウジがわいた妻の姿を見てしまいます。

驚いて大急ぎで逃げるイザナギを、「恥をかかされた」と怒って追うイザナミ。二柱は現世と黄泉の国の間にある黄泉比良坂(よもつひらさか)で、永遠に別れることになります。

▲目次に戻る

3.イザナミが眠る海の前の御陵~ 花窟神社

神社のすぐ前に広がる七里御浜は日本で一番長い海岸線。「日本の渚百景」に選ばれた美しい景色が広がります。
御綱掛け神事は毎年、2月2日と10月2日におこなわれています。

イザナミの埋葬場所は『日本書紀』の一書では、「紀伊国の熊野の有馬」と記されています。

三重県熊野市有馬町にある花窟神社(はなのいわやじんじゃ)では、まさにこの地が御陵であると伝えられています。日本書紀に記される日本最古の神社といわれ、近年では世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」としても多くの人に知られるようになりました。

神社に近づくと、まず目に飛び込んでくる高さ45mの岩壁は、御祭神の伊弉冊尊(いざなみのみこと)の御神体。岩壁に掛けられた綱は、『日本書紀』にもあるように季節の花を飾り、舞を捧げる例大祭・御綱掛け神事で張られています。一度張られた綱は自然に朽ちるまで掛け替えられることがないため、綱が2本かかっていることもあります。2本の綱が見られるのは、幸運の印と伝えられるので注目してみてください。

御神体と向かい合う位置には、あの軻遇突智尊(かぐつちのみこと)もお祀りされているので、親子の神さまへお参りしましょう。

▲目次に戻る

4.イザナギが禊ぎをした、サンクチュアリ~ 江田神社

縁結び、安産などのご利益が伝わる江田神社。禊ぎ発祥の地、祝詞発祥の地としても知られています。
緑豊かな公園内にあるみそぎ池。

黄泉の国から逃げ帰ってきたイザナギは、「思えば何て汚らわしいところへ言ったのだろう」と我が身を振り返り、身を清めるために禊ぎをします。

この禊ぎの場所は「筑紫の国の日なたの川の河口にある、阿波岐原(あわきはら・『日本書紀』では憶原)」と記されています。

全国の神社で高らかにとなえられている祝詞の冒頭「かけまくも畏き伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の檍腹(阿波岐原)に禊ぎ祓えたまいしに・・・」は、この一節が元になっています。

「筑紫の国の~」の場所は、現在の宮崎県宮崎市阿波岐原町。シーガイアがある一角の地名です。

シーガイアに隣接する市民の森の中には「みそぎ池」が、池の付近には伊邪那岐尊、伊邪那美尊を祀る江田神社(えだじんじゃ)が鎮座しています。江田神社は、927年に完成した法令書、延喜式にも登場する大変な由緒のある神社。

以前はさほど参拝者が多くなかったのが、スピリチュアリストの江原啓之さんが「宮崎の中でも由緒があり特に素晴らしい」として「みそぎ池」と江田神社を紹介したことで一躍注目を浴びることになりました。

イザナギが禊をし、それにより神話の三貴士として知られるアマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、スサノヲノミコトも産まれた場所なので、日本を代表するサンクチュアリであるのは当然。パワースポットとして人が集まるのも納得のスポットだといえるでしょう。

▲目次に戻る

【次のお話、「天岩戸編」はこちら】

5.《その他の神社》どこ行く?イザナギ・イザナミゆかりの神社

おのころ島神社(おのころじまじんじゃ)兵庫・南あわじ市

イザナギ・イザナミが結婚した島にある神社

住吉大社(すみよしたいしゃ)大阪・住吉区

禊ぎで産まれた底筒男命をはじめとする三柱を祀る

揖夜神社(いやじんじゃ)島根・松江市

黄泉比良坂と伝わる地のそばに鎮座する

多賀大社(たがたいしゃ)滋賀・多賀町

伊邪那岐大神 伊邪那美大神を祀る

▲目次に戻る

タイトルとURLをコピーしました