白鳥神社
しらとりじんじゃ
住所 | 〒769-2702 香川県東かがわ市松原69番地 |
電話番号 | 0879-25-3922 |
FAX | |
HP | https://www.shirotori-jinja.jp |

由緒・由来
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、12代景行天皇の皇子で、父天皇命により九州中国を、その後東国を征定しました。帰途、近江の国の伊吹山にて病になり、尾張の国を経て伊勢の国能褒野に至り亡くなりました。景行天皇の41年です。天皇はその功績をたたえ、式部を定め群臣に命じ、その地に山稜を造り、厚く葬りました。
入棺し奉った時に、神霊は白鶴に化して西方に飛び去りました。棺内には何もなく衣冠だけになりました。その白鶴は大和の国琴弾原に行き、また飛んで河内の国旧市村に至り、また更に飛んで讃岐の国大内郡鶴内の里にとまりました。そしてこの地に神陵を建て、成務天皇の時代、天皇の御兄弟神櫛王かんぐしおうに命じて、日本武尊の御子、武鼓王たけみかづちおうに従わせ讃岐の国造に神陵を作らせました。
日本武尊の御子は、仲哀ちゅうあい天皇の時代に神籬を立て封戸を寄せられました。今の神社はその御跡であります。その後一盛一衰ありますが、武家は弓矢の神として崇敬されました。寛文4年讃岐守高松藩祖松平頼重公は大いにその規模を広め、社殿の修築を行い領地を割き神陵として寄進し、幕府の朱印地に改めた。明治5年県社に列せられ、現在に至っております。
日本武尊について、『古事記』に次のような神話があります。大碓おおうす命と小碓おうす命の双生児がいました。しかし朝夕の食事に出ない大碓を、小碓は殺してしまいます。そのことに帝は恐れ、小碓を熊襲くまそ征伐という名目で大和から追放してしまいます。熊襲の国ではタケルの宮殿が新しく造られ、各国造の客人で宴がたけなわです。その時、宮殿が闇となり、その一瞬にタケルが殺されます。そして混乱の中で、自分を討った小碓に、自分の名をとりヤマトタケルと強者の魂を授けました。
大和国に熊襲より帰ったヤマトタケルでしたが、父帝は蝦夷えみし征伐に行けと命じます。ヤマトタケル命は、伊勢の倭姫を訪ね、出発します。相模の国造の計略で四方を火に囲まれ、倭姫にもらった火打石と剣で難を逃れます。
次に走水の嵐の中で橘弟姫は海に身を踊らせ、海を鎮めます。大和への帰りに伊吹山の神の退治に出かけ、病に冒され、能煩野のぼので息を引き取ります。しかし、ヤマトタケルは白い鳥となり、飛び去ったと伝えられています。そして、「白鳥神社の由緒」により、白い鳥は鶴となり讃岐の国松原村に舞い降りて、白鳥神社として祀られました。
※白鳥神社様HP 由緒・日本武尊の話より