松陰神社
しょういんじんじゃ
住所 | 〒758-0011 山口県萩市椿東1537番地 |
電話番号 | 0838-22-4643 |
FAX | 0838-22-4282 |
HP | https://showin-jinja.or.jp |

由緒・由来
松陰神社の御祭神、吉田矩方命(以下松陰先生)が殉節されてから31年後の明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われました。このとき松陰先生のご実家、杉家の人々の手で松陰先生の御霊を祀る土蔵造りのほこらが建立されました。これが松陰神社の前身であります。
明治40年(1907)、松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となって、このほこらを公の神社として創建しようと、山口県に請願書が提出されました。同年10月4日に、当時の社格制度の中で県社の社格をもって創建が許可され、土蔵造りのほこらを松下村塾南隣に移して本殿としました。萩城の鎮守で、当時廃社となっていた、宮崎八幡宮の拝殿を譲り受け移築するなど、境内の整備が進められました。
昭和11年(1936)、松陰神社改築奉賛会が設立され、翌年には王政復古七十周年記念事業として、神社神域拡張工事が着工されました。昭和15年(1940)には新社殿が起工され、同17年(1942)には桧皮葺の社殿が竣功しました。しかし大東亜戦争が激しさを増し、国家総力戦の様相を呈するに至り、遂に御遷座されないまま終戦を迎えました。
戦後、社会情勢が落ち着くと、厚東常吉などが中心となり事業を再開しました。新社殿屋根を銅版に葺き替えるなどの改修工事をおこない、ついに昭和30年(1955)10月26日に御祭神が新社殿に遷座されました。これが現在の松陰神社本社であります。
翌昭和31年(1956)には、旧社殿を新社殿北隣に移し、松陰先生の塾生、門下生を御祭神とする末社・松門神社が建立されました。平成22年(2010)10月、松陰先生御生誕180年記念に10柱を追合祀しました。更に平成27年(2015)10月、松陰先生の遺書「留魂録」を守り抜き、後世に伝えた功績をもって、沼崎吉五郎命を合祀し、現在その御祭神は53柱であります。
※松陰神社様HP ご由緒 略記より