梨木神社
なしのきじんじゃ
住所 | 〒602-0844 京都府京都市上京区染殿町680 |
電話番号 | 075-211-0885 |
FAX | 075-257-2624 |
HP | https://www.nashinoki.jp |

由緒・由来
当社は、明治18年10月に三條實萬公を御祭神として創建、別格官幣社に列せられ、大正4年の大正天皇即位式にあたり實萬公の御子實美公が第二座御祭神として合祀されました。梨木神社という社名は旧地名の梨木町に由来し、転法輪殿(三條家嫡流の邸)は梨木町西側に位置していました。
三條家は五摂家に次ぐ公卿最高の名家で、代々質素清廉を旨とし清貧に甘んじて学を修め徳を養うということが家風であり、すぐれた歌人、学者など賢才偉人を続出した家です。中でも實萬、實美両公は殊に傑出した方であったといわれます。
両公は、学問・文芸の神様として崇敬を集めており、境内にはその御神威にふさわしく江戸後期の国学者で『雨月物語』の著者である上田秋成翁や、日本最初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の歌碑が建立されています。拝殿のかたわらにある天壌無窮の石碑は、實萬公が天壌無窮の神勅を軸に書かれ、日夜皇室の弥栄をご祈念されていた文字を石に刻んだものと伝えられています。明治天皇はこのことをお聞きになり、石碑の拓本をとられ、2月11日の今の建国記念日にお居間に掲げられ、国家の弥栄、国民の安泰をご祈念されたといわれています。
当社境内辺りは、平安時代前期に臣下として最初に摂政に任じられ藤原北家全盛の礎を築いたとされる藤原良房の邸「染殿第」があった場所とされています。染殿第は、良房の娘明子(あきらけいこ・文徳天皇の后で清和天皇の生母)の御所としても使われ、当社の手水舎に現存する「染井」は宮中御用の染所で用いられていたといわれています。また、京都御所の東側は公家衆屋敷が建ちならび、当社と御所の間にある梨木通りは、朝夕参内する公卿たちの参内道であったといわれています。
当社は別名「萩の宮」とも称され、境内には萩が咲き誇り古今を通じて和歌が詠まれてきました。現在も京の萩の名所として、参拝者の目を潤す場所となっています。
※梨木神社様HP 御由緒より