東口本宮冨士浅間神社
ひがしぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ
住所 | 〒410-1431 静岡県駿東郡小山町須走126番地 |
電話番号 | 0550-75-2038 |
FAX | |
HP | https://higashiguchi-fujisengenjinja.or.jp |

由緒・由来
平安時代初頭、桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火しました。当時の国司・郡司(朝廷の役人)は、恐れおののく住人のために鎮火の祈願を行うべく、富士山東面・須走の地に斎場を設け、鎮火祭を斎行しました。
すると、同年4月初申の日に噴火が収まりました。この御神威を畏み報賽するべく、平城天皇の時代・大同2(807)年に鎮火祭跡地・現在の御社殿の地に神様をお祀りしたことが、当社の創建と伝えられています。
創建後まもない平安時代には、弘法大師(空海・真言宗)が当社にて修行を行い、富士登山をしたという伝承も存在したことから、近世頃までは弘法寺浅間宮とも称されていました。
室町時代後半(戦国期)・江戸時代には、一般庶民による富士山登拝信仰・富士講や修験道者の信仰を集め、須走口登山道・須走の宿場町とともに栄え賑わいました。境内にはこの時代から昭和に至るまでに寄進・奉納された講の記念碑や石塔等が多く点在します。
この頃より、須走口登山道の9合目・迎久須志之神社、6合目・胎内神社、5合目・古御岳神社、4合目・御室浅間神社、2合目・雲霧神社は当社の神主と地域の方々により祭祀が行われていました。
江戸期・宝永4(1707)年の富士山噴火(宝永大噴火)では、3~4mに及ぶ降灰により社殿はじめ境内も街も埋没したものの、駿河国・甲斐国を結ぶ交通の要衝であったために幕府による手厚い復興支援が行われました。街は降灰により埋まったために、その灰の上に再建したと伝えられますが、神社は除去作業が行われて現状復旧されたとされ、その名残が境内左手や社殿裏の高地高台と伝えられております。
※東口本宮冨士浅間神社様HP 御由緒 創建の起源より