深志神社
ふかしじんじゃ
住所 | 〒390-0815 長野県松本市深志三丁目7番43号 |
電話番号 | 0263-32-1214 |
FAX | 0263-32-5908 |
HP | https://www.fukashi-tenjin.or.jp |

由緒・由来
宮村宮と天満宮の創祀は、信濃国守護・国司であった小笠原氏の信仰と深く関わります。
社伝によると、宮村宮(宮村大明神)が信濃国府中の井川城に居館した小笠原貞宗公により、その丑寅(北東)にあたる、長沢川の北端、捧荘庄内郷宮村の地に、諏訪明神の霊夢を受けて南面に社殿が造営され、祀られたのは南北朝時代初め暦応2年(1339)9月9日でした。
その後、永正元年(1504)小笠原氏は、深志城(のちの松本城)を築いて移るに及んで産土神と崇敬し、社殿を西面に直し、城の巽(南西)の鎮護神とされました。
一方、天満宮は、小笠原貞基公が応永9年(1402)、居館である井川館近くの鎌田の地に京都・北野天満宮より勧請されていましたが、のち江戸時代の慶長19年(1614)6月25日(菅公の御誕生日)、後裔である小笠原秀政公が、宮村明神の北側にさらに勧請され、並び祀られました。
そののち、両宮は「宮村両社・宮村大明神・宮村神社・宮村天満宮・深志天神」などと称され、お城と城下町の鎮護の神社として歴代城主により篤く敬われました。そして正式な社名を、天保12年(1841)に京都・神祇道管領長上吉田家の認可を受け、「深志神社」と定めました。
社格は明治5年に郷社、昭和3年には御大典記念昇格により県社に列格しました。また昭和41年には神社本庁別表神社に加列しました。
※深志神社様HP 歴史と由緒より