出雲大社 東京分祠
いずもたいしゃ とうきょうぶんし
住所 | 〒106-0032 東京都港区六本木7丁目18−5 |
電話番号 | 03-3401-9301 |
FAX | |
HP | http://www.izumotaisya-tokyobunshi.com |

由緒・由来
出雲大社東京分祠は、出雲大社八十代宮司で出雲大社教の初代管長である千家尊福公が、東京及び東日本の御神徳宣布のため、明治11年1月11日、 千代田区神田にある神田神社社務所内に、東京出張所を設けたのに始まります。
神田神社は、出雲大社と御祭神が同じだけでなく、当時の宮司は平田学派の平田盛胤でその関係も深く、また初代の出張所長は本居宣長の学統を継ぐ本居豊頴で、祭神論の当時は東京における出雲派の拠点でもありました。
やがて、明治政府の宗教政策により神職による布教が禁じられたことで、明治15年5月尊福公は出雲大社教の特立をはかることになりますが、それに先立って東京出張所は明治15年4月4日麹町区上二番町に移転されました。明治16年5月4日には東京出張所に神殿を設立し、尊福公が親しく出雲より御分霊を奉じて鎮祭し、ここに出雲大社東京分祠が建立されたのです。
同年5月12日には有栖川宮幟仁親王の御臨席を仰いで落成式を行い、神殿には同宮の筆になる「経国治幽」の額が掲げられました。この時、明治天皇から大和錦二巻を御下賜せられたこと、及び尊福公自ら建立したことは分祠の歴史の深さを示すものに外なりません。明治22年、千家尊弘出張所長の時、麻布区材木町(港区六本木七丁目)に神殿は移転されました。
明治31年にはいち早く神前結婚式を執り行い、東京における神前結婚式の端緒を開きました。また当時は、神葬祭に関しても数多の元勲の国葬を奉仕しています。
※出雲大社 東京分祠 由緒より