金王八幡宮

金王八幡宮

こんのうはちまんぐう

住所〒150-0002
東京都渋谷区渋谷3-5-12 
電話番号03-3407-1811
FAX03-3409-1043
HPhttps://www.konno-hachimangu.jp
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由緒・由来

当八幡宮は、第73代堀河天皇の御代、寛治6年正月15日(1092)鎮座いたしました。桓武天皇の曽孫である高望王の後裔で秩父別当平武基は源頼信による長元の乱(1028-1031)において功を立て、軍用八旒の旗を賜り、その内の日月二旒を秩父の妙見山(武甲山)に納め八幡宮と崇め奉りました。

武基の子武綱は、嫡子重家と共に後三年の役(1083-1087)の源義家の軍に300騎余を従え一番で参向し、仙北金沢の柵(秋田県仙北郡金沢)を攻略しました。その大功により名を河崎土佐守基家と賜り武蔵谷盛庄を賜りました。義家は、この勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の日月旗を乞い求め、月旗をもってこの地に八幡宮を勧請しました。

重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜り、当八幡宮を中心に館を構え居城とし、渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めました。これが渋谷の発祥ともいわれています。渋谷城は、東に鎌倉街道(現 八幡通り)、西に渋谷川が流れ、北東には黒鍬谷を有し、さらに数箇所に湧水があるという好条件を備えていました。しかし、大永4年(1524)1月13日に起きた、北条氏綱と上杉朝興の高輪原の戦(現 品川区高輪付近)で、渋谷氏が交戦中だった北条軍の別動隊により襲われ焼き払われてしまいました。現在、境内に渋谷城砦の石が保存されています。

渋谷氏が武蔵谷盛庄七郷(渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井など)を領していたので、当八幡宮は八幡通り(旧鎌倉街道)、青山通り 宮益坂 道玄坂(旧大山街道)を中心とする、渋谷、青山の總鎮守として崇められています。

当八幡宮は、古くは単に八幡宮又は渋谷八幡宮と称しておりましたが、渋谷金王丸の名声により、金王八幡宮と称されるようになりました。

※金王八幡宮様HP 由緒より

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