近畿地方 丹生神社(にうじんじゃ) 当神社は旧丹生村の村社であり、八幡大神を主祭神とし丹生津姫命外を併祀し、当地は八幡大神と丹生津姫命とは特にゆかりは深く、明治41年より2年に亘る神社合祀以前は当神社を江川八幡宮と呼び、室町中期和佐手取城主玉置氏が和佐城山に築城後、直ちに守護神として川中長子八幡宮より(日高川町小釜本鎮座)八幡大神を勧請。 2025.01.31 和歌山県近畿地方
近畿地方 神倉神社 権現山(神倉山)の中腹に鎮座する歴史ある神社。熊野の神々が最初に降臨した聖地とされ、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産でもあります。天ノ磐盾(あまのいわたて)という崖の上にあり、538段の急峻な石段を登ったところにある蛙の姿に似た巨岩「ゴトビキ岩」が御神体。熊野古道の一部であるこの石段は源頼朝寄進と伝えられ、悠久の歴史を感じさせます。 2025.01.31 和歌山県近畿地方
近畿地方 丹生官省符神社 丹生官省符神社の草創は古く、弘仁七年(816)弘法大師(空海)によって創建されたお社であります。空海は、真言密教修法の道場の根本地を求めて東寺(京都)を出で立ち各地を行脚され途中大和国宇智郡に入られた時、一人の気高い猟師に出会い高野という山上の霊地のあることを教えられました。 2025.01.31 和歌山県近畿地方
近畿地方 顯國神社 当社創立の縁起は、「人皇代五十代桓武天皇延歴20年(西暦801年)坂上田村麿将軍詔を奉じて下降し霧崎菖蒲卿に至り海面を望めば靈龜三波間に浮かび出で将軍に向かって物言ふが如く暫時にして又海中に沈む其の挙動奇異なるを以って小濱の海士をして海底を探らしめしに大中小の霊玉を得たり光鏡の如く将軍喜悦之を拝戴して爰に詞を建設し大なるを大国主命として主神となし中小を須佐男命奇稻田姫神として配祀して大国大明神と號し此の所 の鎮守と仰ぎ人民と共に厚く禮祭を行ふ之を聞き傳へ遠近の人々参拝祈る處必ず感応あらざるなし。」と伝えられている。 2025.01.31 和歌山県近畿地方
近畿地方 闘鷄神社 鬪雞神社の名は平家物語壇ノ浦合戦の鶏合せの故事に由来します。源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当・湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせました。 2025.01.31 和歌山県近畿地方
近畿地方 隅田八幡神社 「神功皇后が外征後、御帰朝の際、筑紫を発し、紀伊の衣奈浦(日高郡由良町)を経て大和の都に御還幸の途次、輦をこの地に駐め滞留なさせ給いし旧跡にして、欽明天皇の詔により貞観年間(西暦859~877年)に八幡宮が勧請された。のちにこの地が石清水八幡宮の社領となり、当神社を『隅田の別宮』と称した。 2025.01.31 和歌山県近畿地方
近畿地方 竈山神社 このお社は彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)を祭ります。命は第一代神武天皇の兄君で、大和平定の途中戦傷、雄水門(ヲノミナト)で亡くなられ竈山(カマヤマ)に葬られました。今から千年程前の国の法律である延喜式の神名帳に「紀伊国名草郡 竈山神社」とあり、古くから官幣に与る皇室御崇敬の大社でありました。 2025.01.31 和歌山県近畿地方
近畿地方 淡嶋神社 その昔、神功皇后が三韓出兵からお帰りの際、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、お告げがありました。「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ。」その通りに船を進めると、ひとつの島にたどり着く事が出来ました。 2025.01.31 和歌山県近畿地方
近畿地方 丹生都比売神社 高野山麓の標高四百五十メートルに広がる天野盆地。作家・白洲正子が名著『かくれ里』の中で天上の「高天原」にもたとえ、いにしえには「天野原」ともよばれた、天野の里に当社が創建されたのは、千七百年以上昔のことです。 2025.01.31 和歌山県近畿地方
近畿地方 熊野速玉大社 私達の祖先は、一体いつの頃から「神」の存在を感じたのでしょう?古代の人々にとって、生命の保証のない大自然の中で生きていくことは、想像を絶するほど過酷であったと思われます。自然は、言葉で言い尽くせない驚異、感動、苦しみ、そして恵みを私達に与えます。 2025.01.31 和歌山県近畿地方